23歳悪性リンパ腫になりました。

23歳で悪性リンパ腫(血液のがん)になった女の子の記録

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【入院75日目】人生2回目の骨髄穿刺、痛すぎて大号泣。【IVAC7日目】

 お察しの方は、もう分かると思いますが、
 
ドSな主治医は 金曜日に
骨髄と腰椎どっちも刺すよ。
 
と言ってきたのです(゚ω゚)
 
 
わたしはびっくりして、
いやですと言いましたが、
病院で嫌ですは通じません。
もう、腹をくくるしかありません。 
 
 
髄注はもう10回もやってるから、
麻酔も痛いし怖いし嫌だけど、
もう泣きません。
 
骨髄穿刺はもう本当に嫌で。
麻酔も髄注の3倍くらい痛いし、
麻酔耐えても、骨通過の時痛いし、
変な音するから怖いし。
あんなの人間がやるもんじゃない。
 
でも、無残にも時は流れます。
 
 
金曜日。
午前に骨髄、午後に脊椎
になりました。
 
 
朝ごはん食べて、現実逃避をしていると
看護師さんが骨髄穿刺の準備にきました。
 
恐怖と前回の記憶で涙が止まらず、
眠くなる薬を二本も使いましたが、
全然眠くならず。。
 
2時間くらい泣きまくり、
眠くもならず、
腹くくって麻酔打ってもらいました。
 
もう、、麻酔で激痛。
奥まで刺すから、
時間が長いし痛いし、すでに号泣。
髄注の麻酔も痛いけど、
髄注の3倍くらい痛い。
 
 
麻酔終わって、ついに刺す時。
先生は普通の2倍麻酔したと言うけど
激痛、ほんとにピリピリするし
押されて悶絶。
たぶん、3部屋隣まで聞こえるくらい
泣き叫んでました。
 
辞めてよーーもうやだーー
ってわめいても先生は止めません。
 
 
やっと終わって、もう満身創痍。
もうお昼前になってました。
 
 
髄注はその後夕方にしました。
 
本日2度目の麻酔を刺されて
髄液に抗がん剤を注射しました。
 
 
 
 
 
なんで、いきなり骨髄穿刺
したかと言うと、
 
私は骨髄にたくさん癌細胞があって
治療して消滅したか確認するのと、
まだあった場合は、追加治療の判断を
するためのようです。
 
CTやら血液検査だと
私の場合は癌の見分けが付きにくい
ようです。
 
第4クールで終わりだから、
退院も早いと4月末に出来るかなと
思っていたのに、
まだ検査しないと分からないって言われて
不安いっぱいになりました。
 
そして、再発の可能性の話もした。
治療して数年は再発の可能性が高いし
私の病気はすぐ進行するから
また退院時と、外来でも
骨髄穿刺しないといけないって。
 
金曜日の骨髄穿刺で
もう一生やらないって思ってたから
ほんとうにつらい。
 
 
 
 
 
生きるために、まだ痛い思い
しなきゃいけないの?
 
1月から通院と入院して、
もう4月中旬なのに
今年何も出来てないなあって
悲観的になったり。
 
久しぶりに、自分の病気の怖さを
思い出した。
 
苦しい治療から逃れられない現実。
再発したら死ぬこと。
 
 
 
 
 
アフラックのCMで有名になられた
山下弘子さん。
私はCMのことを覚えていて、
2月頃よく彼女のブログ読んでました。
笑顔の旅行先での写真だとても印象でした。
私も彼女のように、
退院したら旅行に行きたいなあ
と思っておりました。
 
先日、ブログを拝見したら
3月末に亡くなられたそうで。
その記事を見て本当に悲しかった。
 
頑張ったね、お疲れ様と
ご冥福をお祈りします。
 
 
 
CMで見た彼女への当時の私の印象は、 
 
若くてガンになったけど
闘病して元気になった子。
 
いま、がん患者になった私は、
 
闘病の辛さ痛さ恐怖
病気になって捨てざるを得ないもの
その中でも幸せに過ごせたこと
 
彼女の長いとは言えない人生の
苦しみや喜びを少しだけ理解できるように
なったかもしれない。